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「仕事」について

アーキトリップの桑名です。

いつからか、「仕事をしている」という言葉に違和感を持つようになった。

「明日も仕事ですか?」
「今週の日曜日も仕事ですか?」

そう聞かれたとき、予定を確認すれば確かに仕事は入っている。
打ち合わせがあったり、現場に行ったり、図面を描いたり。

だから普通に考えれば「仕事です」と答えればいい。

でも、ときどき思う。

これは本当に「仕事」なんだろうか、と。

この感覚は、おそらく独立して、自分で仕事をするようになってから出てきたものだと思う。

会社員だった頃は、仕事をする時間と、仕事をしていない時間がもう少しはっきりしていた。

会社に行けば仕事が始まり、会社を出れば仕事が終わる。

もちろん頭の中では仕事のことを考えることもあったけれど、一応そこには境界線があった。

 

今は、その境界線がほとんどない。

365日仕事をしている、と言っても間違いではない。

でも同時に、365日ほとんど仕事をしていない、と言ってもいいような気がする。

自分がやっている設計という仕事は、机に向かって図面を描いている時間だけが仕事ではない。

建物を見に行くこともそうだし、
旅行に行くことも、
カフェに入ることも、
誰かの家に遊びに行くことも、
街を歩くことも、
日々の暮らしについて考えることも、

全部どこかで設計につながっている。

「あの素材、使えるかもしれない」
「あの空間の距離感がいいな」
「この店はなぜ居心地がいいんだろう」
「この暮らし方は面白いな」

そんなことを、頼まれているわけでもないのに考えている。

だから、どこまでが仕事で、どこからがプライベートなのか、自分でもよく分からない。

時間に限りがない仕事、とも言える。

そして、たぶんこれは設計に限った話ではない。

 

例えば歌手は、歌うことが仕事だ。

ライブで歌えば仕事だし、テレビで歌うのも仕事だろう。

でも、歌うことが好きな人にとって、「歌う」という行為はどこから仕事になるんだろう。

家で歌えば趣味で、ステージで歌えば仕事なのか。

お金をもらった瞬間に仕事になるのか。

もちろん「仕事」として歌っている人もいるだろうし、プロである以上、責任も義務もある。

それでも、歌いたいから歌っているという部分はきっとある。

 

そこには単純な「労働」とは少し違うものがある気がする。

自分にとって設計も、たぶんそれに近い。

もちろん、お金をいただいている以上、責任がある。
納期もあるし、予算もある。
面倒なこともあるし、やりたくないことだってある。

だから仕事ではある。

ただ、「労働をしている」という感覚とは少し違う。

 

「じゃあ、何をしているんですか?」

と聞かれると、うまい答えはまだ見つかっていない。

働いている、とも少し違う。
遊んでいる、というのも違う。

今のところ一番近いのは、

ただ、人生を生きている。

という感覚なのかもしれない。

生きている中に設計があって、
経営があって、
遊びがあって、
旅があって、
暮らしがある。

 

だから最近、「仕事」という言葉に代わる、もう少しいい言葉はないだろうかと考えている。