こんばんはアーキトリップの桑名です。
最近、やりたいことが少なくなってきたなと感じ、なぜだろうかと改めて考えてみた。
20代の頃や独立したばかりの頃は、やりたいことがたくさんあった気がする。
ただ、当時は若く、経験もお金もなく、できないこともたくさんあった。
いつかやりたいなと思いながら、お金を貯めたり、そこに向かって目標を立てたりしていた。
やりたいことは、小さなことから大きなことまで、本当にいろいろあった。
設計の仕事でいえば、こういう素材を使ってみたい、こういう納まりにしたらどんなふうに見えるのだろう、という小さなこと。
大きなことでいえば、いつかこんな建物を設計してみたい、こんな空間をつくってみたい、ということ。
もちろん、今でもすべてが実現できたわけではないし、それがやりたくなったわけでもない。
それでも、一つひとつ少しずつ経験し、実現できたことも増えてきた。
これは仕事に限った話ではない。
あの頃にはなかなか行けなかったお店に、今では普通に通うようになった。
当時は手が届かなかったものも、今ではそれほど気兼ねなく買えるようになった。
年齢を重ね、経験を積み、少しずつできることが増えてきたのだと思う。
ただ、それと同時に不思議なことが起きている。
できることが増えているのに、やりたいことが減っている。
欲しかったもの、行きたかったお店、つくってみたかったもの。
以前はあれほどたくさんあったはずなのに、少しずつ減ってきているような気がする。
もちろん、上を目指そうと思えばいくらでもある。
もっと大きな建物を設計することも、もっと高価なものを買うことも、もっと特別な場所へ行くこともできるだろう。
でも、不思議とそこを目指す気にはなれなくなっている。
物欲がなくなったわけではないし、何かに興味を持たなくなったわけでもない。
ただ、経験が増えた分、ある程度のことが想像できるようになってしまった、ということもあるのかもしれない。
初めてのものに出会う前から、なんとなくその先が想像できてしまう。
それが良いことなのか、悪いことなのかは分からない。
そして最近になって、ひとつ気づいたことがある。
「あれをやってみたい」
「あそこに行ってみたい」
「これを食べてみたい」
そんな気持ちを持ち続けることは、意外と大変だということだ。
若い頃は、そんなことを意識したことすらなかった。
自然と興味が湧いて、自然と何かを求めていた。
でも、年齢を重ねるにつれて、その気持ちを持ち続けること自体に、エネルギーが必要になってくる。
自分より年上でも、いつまでも好奇心旺盛な人がいる。
新しい場所に出かけたり、知らないことを面白がったり、何かに夢中になっていたり。
そういう人たちは、決まって若々しく見える。
反対に、毎日をただ繰り返しているように見える人は、実際の年齢以上に老けて見えてしまうことがある。
人が若々しくいられるかどうかは、年齢そのものよりも、何かに興味を持ち続けられるかどうかなのかもしれない。
ただ、この好奇心を持ち続けるということは、思っていた以上に難しい。
新しい情報を自分の中に入れたり、知らない場所に足を運んだり、誰かと話して新しい価値観に触れたり。
そういったことを意識的に続けていかなければ、興味の対象は少しずつ狭くなっていくような気がする。
しかも、それには時間もエネルギーも必要だ。
日々仕事をして、家事をして、子育てをして。
そんな生活の中で、さらに新しい何かを探そうとすることは、決して簡単ではない。
むしろ、日々の生活を送るだけで精一杯だ。
そうなってくると、新しいことへの興味が薄れていくのは、自然なことなのかもしれない。
若い頃は、好奇心なんて勝手に湧いてくるものだと思っていた。
でも、今は少し違う。
自分の中の好奇心は、意識して持ち続けなければ、少しずつ失われていくものになってしまった。
そう考えると、これからの人生で大切なのは、できることを増やすことだけではないように思う。
これまで知らなかったことを知り、経験したことのないものに触れ、自分とは違う価値観に出会うこと。
そして、何かを見たときに、素直に面白いと思えること。
経験を重ねたからこそ分かることもあるけれど、経験を重ねたからこそ、分かったつもりになってしまうこともある。
これから先、どれだけ年齢を重ねても、まだ知らないことがある、まだ見たことのない景色がある、と思っていたい。
できることが増えても、やりたいことまで減らしたくはない。
いつまでも、物事を新鮮に見られる人でありたいと思う。